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躁状態の易攻撃性について

躁状態の頭のオーバーヒート、鬱の時から一転してとんでもない行動量を生み出すあの現象。

鬱の時と違って身体はとんでもなく動かせるから、むしろ良い状態だと勘違いしてしまう。

でも自分で躁状態を経験して、実際は鬱状態よりも危険なんじゃないかと気付いた。

躁の空回り

鬱状態と躁状態の違いを比較してみると、一番差があるのが「行動力」の有無。

鬱は、その心情こそ”死にたい”と、とにかく絶望的なマイナスの思考に陥るけれど、それを実行する気力・体力もまた存在しない。だから、その場にのめり込むというか、沈んでいくから前に進むことは無い。これは何よりも辛いことであるし本当に異常だけども、自分の場合は下手を冒すことはまず無い。

変わって今回初めて(おそらく)躁ぽいものを経験して、これまでの躁状態に対するイメージが変わった。

まず、第一に運動量が増える。起きていることが全く苦ではなくなって、身体が急に軽くなったように感じる。あるいは積んでるエンジンが大きくなる、という表現の方が正しいかもしれない。

自分の体重はしっかり感じるけども、馬力が増えるように感じるのだ。

第二に、睡眠が短くなる。別に2時間しか寝ていなくても元気に夜まで動き回ることができる。

けれども、これが鬱の回復ではなく、躁状態だと言える理由が一つある。

「嬉しくない」こと。

身体が動こうが、外出に長時間出かけようが、行動の主体であるはずの私が喜んでいないのだ。

というのも、躁状態の身体は、その主体が私には無い。別の何か、誰かに乗っ取られている感覚。

自分の意識すら客体になって、ただ馬力の大きいエンジンを無理やり背負わされてる感覚に近い。

身体は動くのに、なぜか嬉しく無い。こんな感覚になったのは初めてだった。

躁で現れる自分の中の「うざい人」

そんな躁状態では、自分の意識は外界へ刺激を求める。普段は内向的なのに、急に外に出たくなって、人と関わりたくなる。

口数もものすごく増えて、目にしたもの全てにコメントを付けたくなる。

そして自分の思想をどんどん外に垂れ流して、それを相手に理解してほしいという押し付けがましさが発生する。これがいけないんだなぁと新発見だった。この「過度な思想の共有」。これが躁の易攻撃性であり、怖いところだと思った。

躁うつ病でなくとも自分と他人の境界線をうまく張れないことはあるけど、どちらにしても関わる人を困らせたくない。

でもわかってても躁は止められないから、波がおさまるまではどんなに元気でもセーブしないといけないというのが今回やっとわかったという体験でした。

躁の時ほど引きこもれ!

じゃあ具体的にどう躁をセーブしたらいいのか。

個人的に効いたのは、全ての動作をいつもの2倍ゆっくり行うことと、なるべく一人で過ごすように努めること。

この2点に留意すれば、少なくとも人を傷つける(失言など)ことはかなり防げる。あとで後悔しても発言は取り返せないもんね。

個人的にはこの対処法は効いたのでおすすめです。ゆっくり動いて人をなるべく避ける。

中庸を目指す道はまだまだ遠い!

おわり

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