最近こんなことをよく思う。
この世が全て人間より高次元の存在(神様、と定義してみる)の作った暇つぶし(ゲーム)だったら…
どうしよう。
つまり今この身体を動かしているのが、考えているのが、私ではなく別の何か(誰か)だったら。
この世の全てが限りなくリアルなゲームだったら。
そう考えるとめちゃくちゃ色んな疑問が浮かぶ。
まず神様ってどんだけ暇なんだ。
あまりにも気の遠くなる悠久の時間を手に入れてしまったせいで、人間でいう約100年ともいわれるようになった寿命ですら、束の間のゲームに過ぎないということなのか。
あまりにも全知全能であるが故に、人間という低知能で不器用なゲーム性がむしろ楽しい、ということなのか。
時には他のプレイヤーが自分のキャラを殺したり物を盗んだり、あるいは自分が誰かを殺したり、果ては自殺をコマンドしたりしてしまう。こんなゲーム、ありなのか?
あと、リセマラってできるの?それとも主人公の個体値は一定なの?
もしリセマラできるとしたら、あなた、神様はなんで私を選んだの?ゲーム性低過ぎて逆に難易度激ムズになってるよ。
もし個体値が一定で神様のさらに上級存在から勝手にプレイできるキャラを割り当てられてるとしたら、それって楽しいの?労働と同じじゃない?って疑問が浮かんでくるからやっぱりリセマラできるって考えた方が妥当だな。
そうすると、そんなにSとかSRとかの比率って低かったの?何度もリセットしてやっと妥協できるくらいのキャラだったのが私なの?
この世界が全てゲームだとしたら、この心の痛みも、身体の辛さも全部、私じゃなくて神様が楽しんでプレイしてるものなの…?
この世界をわざわざゲームとしてバーチャルに生み出しているとしたら、神様って本当に五体なんかの実体がなくて、光のように触れられない、概念みたいな存在なんだろうな。
だから、実体がなければ感じられない喜びや怒り、感触みたいなものが楽しくてたまらないんだろうか。
私たちにとって常に関心ごとや問題として起こる全ての戦争や飢餓・貧困、そこまで行かなくとも浮気や言い争い、些細な対立も…神様にとっては「〜〜〜〜たまらんっ!!!悦!!!」ってことなの??
私が死んでも神様にはなれないで、おそらく次のキャラに転生するまで出待ちさせられるだろうから自分がプレイヤー側に回れることはないんだろうな。
あ。でも、地球人口って産業革命が始まってからめちゃくちゃ増えたけど、神様って何人いるの?一人1アカウントまで持てるとして、80億人以上プレイヤーがいないといけないことになるけど、神様が死ぬことはないからその点は余裕なのか?だとするとこのゲームソフトで遊べるサーバーが増えるの待ってる感じなの?神様は。それとも、もしかして人口=神様の数なの??
神様にとってはこのゲームが楽しくて仕方ない上に、たとえ私たちキャラにとっては長すぎる100年というような時間でも一瞬の煌めきなのだと仮定すると、こんな人生でも神様にとっては都合のいい暇つぶしなんだろうか。
何兆通りとある選択肢がこのゲームでは用意されていると考えると、「もっと自由に考えて人生を生きよう」と思えてくる。この世がゲームだと思った方が楽しい。
自分の選ぶ言動一つ一つが実は神様が入力したコマンドなんだと思うと笑えてくる。破天荒なコマンド選び過ぎでしょ。
そう考えるとより、自分の行動で人生ができているって実感する。
このキャラを使っているのが私ではなくて、神様だと考えると、苦しみが分散する感じもする。ちょっと趣味の変わった神様だなとは思うけど。
けど、この世界がゲームだとすると、生まれてからすぐ殺害されたりレイプされて亡くなってしまった赤ちゃんとかはどうなってるの?
自殺コマンドはまだ理解できるとして、産まれた時から手錠に繋がれて支配されてきたような人たちのことはどうやって説明するの?
そうなると、やっぱりプレイするキャラは神様が自由に選べるわけではないってことにしないと合点がいかない。
このゲームの作成者およびキャラの振り分けをしているであろう神様のさらに上の神様は、このシミュレーションから一体どんな仮説・結果を望んでいるんだろう?
全知全能で何もかもが手中にある神様は、それでも這い上がってくる、いわゆる”バグ”が起こることを期待しているの?
ゲームでキャラクターが壁に埋まったりすると私も笑ったりするけど、そういうこと?
ちょっと考えただけでもめちゃくちゃ疑問が湧いてくるけど、私が尊敬する人がこの世は全てゲームなんだと言っていたことがやっと少しわかったかも知れない。
どうせこの世がゲームなのなら、神様が望んでいるのなら、他のプレイヤーや神様みんなが笑顔になるバグを起こしまくってみようかしら?!´д` ;
最近観て面白かったナオキマンショーさんと佐藤航陽さんの対談動画
おわり

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